プロフィール

自己紹介ってむずかしい。

だって人間は常に変化する生きものだから、今のわたしを文字にした瞬間もう過去になって、また新しい考えと行動を持つわたしが生まれてる。

でも、この広いインターネットの世界でわたしのブログを見つけてくれた人に「わたしのことを知りたい」と言われたら、それは全力で伝えなければいけないから、とりあえず今までどんな生き方をしてきた人間なのかをザッとまとめてみます。

幼少期

1986年11月16日、わたしは大阪市で在日韓国人として生まれた。お父さんは再婚なので、腹違いのお姉ちゃんをあわせると、姉・兄・兄・私で四人兄弟になる。でもお姉ちゃんとは大人になってから関係を持つようになったので、三人兄弟としてちょっと変な家庭環境で育った。

残念ながら、わたしに「愛」という名前をつけた両親二人が愛し合っている姿を一度も見ずに育ったのがこのわたし。当時の自分に「愛」を感じる力がなかったとしても、お互いを心から思いやっているような温かい両親の風景も記憶にはない。父は元暴力団員だったが次男が生まれたときに足を洗い、それからはわりと器用によく働く人間になった。でも大酒飲みでヘビースモーカーという難点があり、酔っ払うと過去が現実に蘇るほど人格が変わってしまう。母もまぁ激しい性格で折れるということが全くできない人だった。外を歩けば誰とでも敵対しては喧嘩をふっかけ、思ったことをバンバン口にする超ヒステリックな人間。男に生まれているか、あるいは時代を選んでいれば天下統一でもできただろうその根拠のない勝り気は、わたしと同じ女だということを忘れさせるほど天晴れなものだ。再び残念なことではあるが、幼少期のわたしが両親から学んだことは「反面教師」という四字熟語だけだった。

そんな親二人の地雷が爆発すると、家の壁や家具や食器が破壊されて今晩のご飯もあちこちに散らばってしまうので、そうなる前にわたしはいつも長男に助けを求めた。だが兄も兄で(そんな家ということもあって)ほとんど家におらず、地雷が爆発しそうな予感がするときは、コードレスフォンを手に隠し持ってヘルプコールをする準備を常にしていた。この時培った経験のおかげか、大人になった今でもわたしは色んな空気を読むのが誰よりもうまい。

長男とは9歳、次男とは7歳の年の差がある。二人とも、ものすごく常人離れした人間だった。ホリエモンさんの自伝にも「なぜこの家庭から俺みたいな人間が生まれたのかわからない」と書かれていたが、わたしも兄に対してよく同じことを思っている。ちなみに長男はホリエモンさんに姿形もそっくりなのだ(笑)大学も出ていなかったが地元で最年少起業家になり着々とビジネスを成功させて従業員を百人以上抱えるまでになった。いくら稼いでいたのか聞いたことはないが限度額のない黒いカードを持っていたことだけは知っている。次男は勉強ができない代わりにこれまた運動神経抜群で日本を代表するトップアスリートになり、いつのまにか世界を舞台に活躍していた。うちの家庭環境を一番恨んでいたのは確実に次男だと思う。親への怒りをスポーツにぶつけることで次男の凄まじい闘志は形成されていったのではないかと。「松原家の常識は世間では通用せえへんぞ」次男がわたしによく言った言葉だ。

そんな兄達の功績は地元でも結構有名になっていて、先生にも同級生にも先輩にも「おまえの兄ちゃんすごいな!」ともてはやされるのだが、それは意外にも居心地が良いと言えるものではなかった。栄光ある兄達の配下で、いつもリトルマーメイドを繰り返しみてはアリエルの真似をしてお絵かきばかりしているわたしに「おまえは残りカスや」と母はいじわるに笑ってよく言った。わたしも母の性格を受け継ぐ人間なのでこの際はっきり言っておこう、わたしは実の母をシンデレラのママハハより質が悪いとずっと思っていた。父だけが私のそんな将来性のなさを何も言わずに見守ってくれた。母と兄達には最低な男だったかもしれないが、なぜか父は私にだけはものすごく優しく、それは今も変わらない。

学生時代

わたしは大学にも行ってないので学歴がない。いや、父のすすめで短大には入学したが、当時恋愛で辛いことがあったというのも重なり一ヶ月で退学した。もうひとつ言い訳を書くとすれば、短大に行っても何もわくわくすることなんてなかった。

小学校、中学校、高校時代のわたしは勉強も運動もだいたい真ん中のレベルにいた。必要最低限のこなし方はいつもしっていたし、国語や美術は並以上の結果だったことも多かったが、そこをとことん追求しようとも思えなかった。私は自分に持久力がないことにだけはハッキリ気付いていた。美術の勉強をするために芸大に興味を持ったとしても、今目の前にある真っ白いノートに自由に絵が描ける楽しさを優先してしまうのだ。まぁ努力が足りない人間の代名詞ってわけだ。わたしは、兄がずっと部屋に飾っていた「努力」と彫られた白い石の置物をよく横に向けた記憶がある。

学生時代は勉強より恋と遊びだった。彼氏もいたし、友達も多かったし、歌うのもうまい。唯一頑張ったことがあるとすれば、部活の厳しい練習に引退するまで耐えたことぐらいだ。そんな平凡な学生生活を送っていたわたしは、相変わらず兄達のように抜きん出るものを何ひとつ見つけられず、卒業(中退)を迎えてしまった。プリクラ帳を唯一無二のデザインに創り上げるために集中したことはあるが、その熱意を勉学に向けたことはない。親に申し訳ないと思うのが最もな感情だと思うが、幸いにも兄二人の活躍が目立っていたので、私の将来になんて誰一人興味を持たなかった。

社会人生活

だけど私は根が真面目なのでフラフラした大人にはなれなかった。兄達の大きな影響もあってとにかく働くことだけを考えた。ハードワーカーになりたいと思ったことはないが働くことは結構性にあっていた。うちの家系はたぶん誰よりも働き者の遺伝子を持っているんだと思う。職場での交際も多かったので、若い頃はいつもとにかくお金が必要だった。

仕事は本当に色んなことをやってきた。時系列に書いていくと、通販サイトの立ち上げ、アパレルバイヤー、携帯ショップでの接客、OL、結婚相談所での仲人、WEBデザイナー、グラフィックデザイナーといったところが伝わりやすいかもしれない。昼の給料が安いときはコンビニや会員制バーを掛け持ちして働いた。

社会人になってようやく見つかったわたしの長所は意外とたくさんあった。「とにかくスピードが速い」「自発的に行動できる」「感性がある」「飲み込みが速い」「要領がいい」「元気で明るい」というものだ。兄はそんなわたしの性格をわりと早くから見抜いていたらしく、愛にしか頼めないと時々仕事を依頼してくることもあった。

こんな感じで、とにかくわたしの経歴には華がない、、、と言ってしまうと私を雇ってくれた素晴らしい会社や経営者さん達を否定することになるから、私の経歴には一貫性がないと訂正しておく。

家族崩壊

2012年の何月だったか、わたしが友人との海外旅行から帰国すると、この世で一番尊敬していた長男が姿を消していた。何が起こったのかハッキリした事実は母も次男も知人もいまだにわかっていないのだが、税務調査で7年の懲役を言い渡されたみたいだ。

兄が失踪を決意する前、父に連絡があったそうだ。「7年なんてあっという間やから入ってこい」元暴力団だった父は署内がどんな場所かわかったうえで逃げたらあかんと言ったが、兄の決意は変わらず、そのままどこかへ逃亡してしまった。だけど兄はけっして辛いことや恐れから「逃げない」人間だということをわたしは重々に理解している、という点から考察すると今回起きたことの根本は「兄一人だけの問題ではなかった」と思うのだ。

いまも兄は行方不明だ。誰にも連絡はなくこちらから取る術もない。生きているのかもわからないが、わたしは兄弟だという以上に兄には魂的に近しいものを感じていて、直感で彼は世界のどこかでまた何かをしでかしているとわかる。今回失敗した道を「愛」に変えて、今度は大きくなくて、もっと自由な何かを。

そんな兄の失踪は母と次男と親戚と一部の関係者に大きなダメージを与えたようだ。要は兄から支払われていたお金が途絶えると生活に困る人達だ。母はとにかく色んな回想で毎日泣き崩れ、次男はもちろん立派に自立していたが、兄の保証人になってしまったローンの心配から周りが見えなくなった。家に届く郵便物を勝手に転送手続きして状況を探ろうとする人間もいた。警察も何度かやってきて、私たちこそ教えてほしい兄の行方や手掛かりを探ってきた。

一番冷静だったのは一人暮らしをしている父だった。そしてわたしも父と同じで冷静だった、というより兄の自由を心から祝福した。わたしは兄が色んなものを抱えすぎていたこと、苦しくても絶対に弱音を見せなかった背中、関わる人を自分よりも常に大切にしていた心の広さをずっとこの目で見てきたからだ。その証明に、社長の失踪事件が起きても元従業員で兄の悪口を言う人は誰もいない。みんな「戻ってきてほしいなぁ」と言ってくれている。

「継続できないことに手を貸すな」それが今回の兄の失踪と、兄の表面的な部分にだけ関わっていた人達の態度から私が垣間見た教訓だ。長男の失踪後、うちの家族は大崩壊した。こんなに簡単に壊れるものを今までは兄がいつも間に入って「家族」にしてくれていたことに改めて兄の凄さを感じたが、私にその代わりはできなかった。兄はいつも強く言っていた「友達は常に増やせるけど、家族は年々減っていくから絶対喧嘩したらあかん」と。

もともと折が悪かった母とは海外へ渡ることを機に連絡を断つことを決めた。次男はアスリートということもあり年齢とともに収入は減っていく。残されたローンやお金のことで父と私に相談を持ちかけたが衝突し、最終的に縁を切ると言ってそれっきりだ。

だが人間は常に変化するものなので、わたしは今、母とも連絡をとり時々会うようにもしている。母も小さくなってしまった。今はどちらかと言えば母より私のほうがヒステリーだ(笑)そして母と次男が稀に連絡をとってるそうだ。冒頭で「自己紹介はむずかしい」と説明したことに少しでも共感してもらえていたら嬉しい。

やっと見つけたもの

長男がもし逃亡していなければ、わたしは旅人になって、海外を気ままに放浪して、その人生観をブログで発信しながら生きていこうなんて自分には出逢えなかったと思うと、人生って本当に上手にしくまれているなぁと感心する。

兄はいつでも「仕事はどうすんねん」「おまえはなんでそれがしたいねん」「それになって今後どうやって生きていくねん」と容赦なく問うので「仕事やめてアメリカ横断してくる!とりあえずやりたいねん」なんて夢物語は確実に吹き飛ばされただろう。

でも兄が先に全てを捨てて旅に出てくれた。健在の父は、わたしの突拍子もない決意をときどき罵倒したけど「誰の娘やと思ってんの?」と言えば大抵解決するし、そんなことを何度も繰り返しているうちに「次はなんや?」とわたしの人生を面白がるようにもなってきた。

そう、わたしは28歳のとき全身全霊で「旅」に夢中になった。華々しい経歴も目立った取り柄もないわたしを初めて夢中にさせたものは「一人旅」だったのだ。未知のセカイをただ自分の心がしたいと指示してくれるままに放浪しはじめた。するとセカイがわたしをようやく肯定してくれたのだ。「取り柄なんてなくていい、余計なものを自分に埋め込もうとしなくていい、ありのままで美しい自然を感じとる力を愛は持っている」旅は色んなものを介しながら、私にそう強く教えてくれた。

この地球という惑星の美しさ、旅の中で出逢う人達の愛とユーモア、そして宛てもなく心のままに行動することで起こる嘘みたいな奇跡、その数はもう無限中の無限だった。気付けば、わたしはもう社会組織の中では上手に生きられなくなっていた。「ありえないセカイで下手くそに生きる」ことがわたしが一番得意とすることだ。ありえる世界なんてなにも楽しくない。だからこのブログを今、愛を込めて育てている。育てながら学んでいく。どこかで生きているはずの兄にも届けばいいなと思いながら。もちろんこんな私の生き方に共感してくれる素敵な仲間にたくさん出逢えることも祈りながら。

ブログに込めた想い

実はこれまで何度もブログを作っては壊してきたわたし。デザイナーということもあり、貴重な時間を割いてここに遊びにきてくれる読者さんにはいつも最高に美しい状態でわたしのつくるものを届けたいという想いがある。だけどそれは時々、自己満足を追求するためだけの表現になっていることも事実であり、わたしはそういう自分を今後認めていきたい。

これまで作ってきたブログには、お金を稼ぐために広告やアフィリエイトリンクをたくさん貼ってきた。運良く色んな記事がバズって、生活はできないがお小遣いとしては充分な金額をもらえた。だけど数字が増える楽しみを優先してしまったわたしは、ある日「なにがやりたいのか」わからなくなってしまった。そして案の定、わたしの純粋な「旅日記」を楽しみに待っていてくれた読者さんが離れていったことにも気付き、どうして行くべきか頭でも心でも悩みに悩んだ。

自分の世界観(自分がこれから世界に発信して行きたいもの)をもう一度ちゃんと見極めて整理しようと、得意じゃないけど内に還る努力を試みた。幸い時代はコロナだ。海外にもいけないので静観するには絶好のチャンスだった。超インターネット社会という時代の追い風にただ流されていくだけでいいのか?ブラウザを開けばみんながもう「次」の刺激を探しながら情報をスキップしていく不条理なフィールドで、自分はただ産業の兵隊になるのか?

自己満足だけでは生きていけない。社会のトレンドとニーズに合わせて動かないとお金は稼ぐのは難しい。権威性のない人間が何を発信しても無意味。大抵の検索結果にそうマインドコントロールさせられるかもしれないが、わたしは違う考え方を提唱する。

「結果なんてどうだっていい、ただ自分の創りたいものを創造するのみ」それでいいと思う。「好きなことをして生きていく」の意味を「好きなことをしてお金を稼ぐ」と混合させてはいけないと思う、それがわたしの答えだ。お金に囚われると自由を失う。自由を失った人間に「本当に好きなこと」はできない。もう一段階掘り下げておくと、例え金銭的不安から解消されても「好き」を自ら創造できない人間は、けして幸せにはなれない。

このブログには、わたしのライフスタイルに関係ないものを載せるつもりは一切ないので、本当にいつでもゆっくり遊びに来てほしいです。紅茶を淹れてウェルカムしているような、ほっこりした空気を感じてもらえるよう、ブログ運営がんばります!

あなたに何か温かいものを届けたい。
五月蝿い社会の癒しの場所でありたい。
私が好きだと思った美しさを伝えたい。
酸いも甘いもありのままで。

人間なんてどう足掻いてもみんな死ぬ。
今感じるままに水を与え続けることが「命」だ。

大好きなもの

太陽、ニューヨークベーグル、韓国冷麺、水の中

・・・ちゃんと自己紹介になってますか?笑)